昭和精吾の●陸●海●空

もと天井桟敷俳優、昭和精吾のブログです。

2007年01月




「天井桟敷」に入団する前の二十代前半には東映の養成所に在籍していた。その時の友人に富山県出身の彼がいた。秋深まる頃、四人で授業を飛び出し彼の実家がある富山に遊びに押しかけた。今回はそれ以来であるから、軽く見積もっても四十年以上は過ぎ去った事になる。続きを読む




「昭和、今度のシーザーのコンサートで、これを読め」「はぁ」

本番三日ほど前に手渡された原稿用紙には2Bで書かれた独特な角ばった字体がびっしりと埋めこまれていた。

『人力飛行機のための演説草案』

「寺山さん、いつもの昭和節でいいスか?」「うん」


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かつての青函連絡船には

家出女の風呂敷包み!
亡国の中将湯密売人!
自殺主義者のための三味線曲師!
さみしい養老院の老人が通信販売で買った花の種子!
浪曲一座のすりきれた幟100本!
美空ひばりの「雪之丞変化」!
時代のためのインポの弁護人!


・・・等が積まれてあったと寺山さんはある本に書いていたが、真っ青な空を北へと突っ込んでゆく、この飛行物体には一体何が積まれているのだろうか?
戦いという名の鎧兜か? 平和という名の擦り切れたザックか?

元日の北陸路はどこまでも静かであった。



東尋坊に着いた頃には海上には薄い雲が漂っていた。この立っている場所から右肩寄りに泳いでいけば北朝鮮に着けるよな。真っ黒に日焼けした顔で懸命に訴える横田御夫妻を拝見したのは、何年か前の御茶ノ水駅近くであった。「頑張ってください」それしか言えなかった。
自転車でお台場まで工作船を見に行ったことがあった。今だ帰れぬ方々の、この海を渡って旧満州国から引揚げてきたのが4歳のときであった。続きを読む



市内も雪は少なかったが、暖冬とは言え山中ここまで入ればさすがに肌身刺す寒さであった。続きを読む

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