昭和精吾の●陸●海●空

もと天井桟敷俳優、昭和精吾のブログです。

2007年02月

懐かしいものをおみせしよう。




ACB〜あしべと読む。18歳頃から24歳頃、演劇研究所を卒業するまでアルバイトをしていた。
銀座7丁目のガスホ−ルの地下にあり客席のど真ん中に巨大な柱があった。

「日本一ガラの悪いボーイ(当時はそう呼んでいた)連中達である」何度かマスコミで叩かれた。
客が入りすぎて対応できなかっただけの話であり、故意にやっていた訳ではない。
最終的には20名ほどのボーイを管理するボーイ長になったが、東映に入ってやめた。続きを読む




帰って十日もしない内に亡くなった知らせが来た。
あの日市内には全く雪がなく東京と同じ風景であったが、今度は違っていた。
時折吹雪いてみたり、小雪になったり、また吹雪いてみたりと荒れ狂っていた。

画像は角館近辺の防雪林であるがこれでも、昨年は別として例年よりは少ないという。

外で働く俺にとっては楽だが地球規模で考えた場合はね。
何とかせにゃあかんか!




山頂はガスっていて何も見えなかった。
かすかに「岩手山山頂」と書かれた柱が一本立っていた。
あの山頂の深い雪の下はまだあの時の柱が重さに耐えて頑張っていのだろうか?
そのお兄さんは頑張れず昨年6月肺ガンで岩手山より、もっと高い山へと登って行ってしまった。

まわりを見てみよう。
その6月の別れから今日2/12(月)までの間に友人、知人そして親戚を始め5人が泉下の客とあいなった。
多すぎませんかね? 神様、そりゃないぜ!


到着駅秋田では意識ない義兄が待っている。




もう、50年前にもなろうとしているが18歳の時、友人のお兄さんとふたりで夏休みに登った。
雫石側から入り麓の山小屋に一泊、早朝、山頂をめざした。
かなり、ふところの深い山だった。

険しい岩場を抜けて頂に到達したのが、時間は思い出せないが午後であった。



新幹線「こまち」の車窓から携帯で撮った一月の岩手山である。

「ふるさとの山に向ひいて言ふことなし〜」
かの歌人もこの山を見て詠ったと聞いたことがあった。

地元では「岩手富士」とも呼ばれているようだが本当だろうか?
その姿、まったく本物に似ていない。

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