昭和精吾の●陸●海●空

もと天井桟敷俳優、昭和精吾のブログです。

2008年02月

この芝居はラストが観客へ向けて強烈なアジを投げかけて終わる。
その時の生原稿である。
5 昭和精吾「さあ、フルーツガム・カンパニーは見たかい?」から始まってゆくが、5で5人目にアジったのか、あの時5人しかアジらなかったのか今は思い出せない。
5と書かれているが最初の切り込み隊長をやったような感じがする。記録がある「邪宗門」も確かにそうであった。


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さて、新生・精吾の部屋その1である。

時は1971年7月24日から8月2日、場所は当時の晴海国際貿易センターであった。
ヨーロッパでの「邪宗門」の公演を終え‘71『地獄より愛をこめて』を上演した。タイトルが違ってはいるが内容はほとんど「邪宗門」に近いものであった。
広い会場には(十代だったと記憶しているが)「世界美女コンテスト」?があったり「フルーツガム・カンパニー」(このロック・バンドが当時、名を馳せていたか否か、実はレコードも持っていなければ今もって知らない)が出演したりして話題にはなった。

主催・名誉会長はおらが村の出身で誇りでもあった石田博英労働大臣であった。

その舞台で、寺山さんから渡された5枚の詩を朗読することになった。
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時は1971年8月20日、場所は富山県民会館であった。
バスをチャーターして劇団員全員が行ったと記憶している。
フェスティバルのタイトルは忘れてしまったが、本番前の夜に淺川マキ嬢のコンサートを何人かで見に行った。
「ここに知っている顔が何人かおりますが皆、怖いお兄ちゃんお姉ちゃん達ですので明日の天井桟敷は見ない方が利口ですよ」
爆笑があったのを憶えている。

演目は伝説となった『邪宗門』であった。

翌日、本番が始まって間もなく、
「昭和、これを新高さんのオーラス前に読め」
「ハア」
秋が来た、と書かれていた。



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「昭和さん、今年は寺山さんが亡くなって25年ですね」
関西方面(いや!今や全国区か!)で活躍している見世物パンク一座・ストロベリーソングオーケストラの座長・宮悪戦車の手紙で知り改めて年月の早さを感じた。

(空の墓場で死にきれず 翼亡きゆえとべもせず 戦後四分の一世紀 天にわだつみ地に焦土 帰る故郷も麦もなし)

一緒に演劇活動をしていた頃の寺山さんが書いた一節であるが、他界してから本当に四分の一世紀が経ってしまった。
「俺も年取るわけだい!」妙に自分自身に納得させながら久しぶりに柱時計のネジを巻いた。
ボ〜ン 何とも言えない響きが部屋中に伝わる。哀愁とはこんなことだろう。
そういえば、今日はおふくろの誕生日だっけ。好物だった栗饅頭を食べ、そして、おしるこで暖をとろう。時間がせまって来た。

多少のずれはあったが年代別に整理しながら載せてきた「精吾の部屋」の扉を閉じ、これからは思いつくまま当時の寺山さんの事や天井桟敷時代をブログに一括させて載せて頂く。何卒、ご了承のほどを。

まずは、持っている生原稿から始めよう。





*こもだ註)精吾の部屋も削除はせずにそのまま置いておきます。今後の更新はこちらのブログの中でいたしますが、あちらから読み始めるかたもいらっしゃると思うので、(手が回れば、ですが)目次はこれまで通りあちらの扉にも置き、リンクしようかな・・・と考えております。

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