昭和精吾の●陸●海●空

もと天井桟敷俳優、昭和精吾のブログです。

2009年09月

自身を祝う9月21日は仕事であった。
国民の休日、全く意味が判らぬ休みの日、安いデジカメ片手に700円を支払って都電、都バス、都営地下鉄、舎人ライナー乗り放題と9時ちょうどに家を出た。



最初に向かったのが麻布十番、近い将来に備えての納骨堂見学であった。
「なんもいらねぇ、ここさ来い」北国にそれなりの墓はあるがお江戸で生まれ育った妻はどうも乗り気でないらしい。続いて築地本願寺である。寺に向かう角を曲がってびっくり、いきなりこれが飛び込んできた。

何んじゃい、これは?
しっかり設計されていると思うが地震大丈夫かいな?と思わず見た者に心配をかけるマンションである。




見学を終え春日駅乗換えで「オバァちゃんの原宿」いや、この日限って言えば「お爺ちゃんの原宿」である。
巣鴨地蔵通りを初めて歩いた。同類項が一杯!なんでも千円!団子を食いながらMADE IN VIETNAMのテーブルクロスを買った。なるほど「お年寄りの原宿」か、うなづける商店街である。




都バスで新庚申塚に降り都電荒川線に乗って鬼子母神へ向かった。
軒下をぬうようにして走る一両の車内は結構混んでいた。
樹齢600年ひんやりとした欅並木の木陰を通り過ぎ左に曲がると正面に本堂が見えきたが左手にあったこの駄菓子屋さんが郷愁を誘った。五円玉を握りしめ坂道を登り切った所に「ヨシゾウの店」があった。なかなか溶けずいつまでも口中に甘味が残っていた大きな飴玉や金太郎飴、季節、季節のスグリやスモモやクリ等も置いてあった。
気にもしなかったが何時頃からだろうか、カンカン帽とともにこのような店も消え去っていった。
都こんぶと黄色い箱の森永キャラメルはあったが上記の飴類は探せなかった。



ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん  寺山修司





再び巣鴨に戻り三田線で蓮根に向かった。
地下鉄を降り線路沿いを左に曲がって突き当たりを右に曲がった住宅街の一角に「植村直己記念館」(正式名称は植村冒険館)があった。
一階には山岳誌やアウトドアや旅等に関する書籍がところ狭しと並べられた情報コーナーで二階が展示室になっていた。入口左側には国民栄誉賞の賞状と盾が飾られ氏の偉業をたたえていた。一度だけお会いしたことがあった。


1979・9・3 北極犬橇 植村直己 とサインがあるから30年前である。
北極点単独一万三千キロ犬ゾリ到達を成し遂げた翌年の残暑厳しい日であったが真っ白な長袖のYシャツが目に染みた。
「運がよかっただけですよ」童顔の照れ笑いがそこにはあったが後、冬のマッキンリーに消えた。
直筆の登山ノートみたいなものはあったがこのようなサインは一枚も飾られてなかった。
記念館に返そうか?
それとも、いい値で売れるかもしれない、神田の古本屋にでも売り飛ばして欲しいソフトでも買おうか?
どうせあっちまで持って行けない。
スケベ根性丸出しの昨今である。

満月に花火


日中はまだ残暑厳しいが朝夕はエレベ−ターに通じる小さな中庭の茂みからは秋の虫音が聞こえてくる季節になった。
変といえば変な夏でもあった。
ベランダから偶然見た満月の下に咲く打ち上げ花火がひと夏のたったひとつの思い出になった。

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