時は1971年8月20日、場所は富山県民会館であった。
バスをチャーターして劇団員全員が行ったと記憶している。
フェスティバルのタイトルは忘れてしまったが、本番前の夜に淺川マキ嬢のコンサートを何人かで見に行った。
「ここに知っている顔が何人かおりますが皆、怖いお兄ちゃんお姉ちゃん達ですので明日の天井桟敷は見ない方が利口ですよ」
爆笑があったのを憶えている。

演目は伝説となった『邪宗門』であった。

翌日、本番が始まって間もなく、
「昭和、これを新高さんのオーラス前に読め」
「ハア」
秋が来た、と書かれていた。



まだ時間はある。上手袖で必死になって憶え切った時「昭和さっきの原稿ちょと貸せ」舞台袖に再び寺山さんが来た。
「いいか昭和、1と2の間にこれを読み2を3にしろ」
寺山さんは常に原稿には2Bの三菱ユニの鉛筆を使って書いていたが、よっぽど慌てて書いたのであろう、あきらかに2の詩はマジックである。一読して「心恋々もみるのみ」とあった。「もみるのみ」ってどんな意味だろう。すぐに振り返って聞こうとしたが、すでに寺山さんは既に照明室へと向かっていた。
自分の判断で「もゆるのみ」に訂正した。

秋が来た。
この詩は悲しい不幸を背負った詩であった。

新高さんのオーラスが、つまり自分の出番が近づいて来た時、武者震いをしながら左手にコードを一巻き、
「やってやるぜ!」
上手袖から出ようとした瞬間、「さあ〜みんな、出てきて頂戴〜」新高さんのオーラスのセリフが始まったのである。

「ひとたび鈴をふるたびに しんじつひとを思い出す」

重ね合わせて読むこともできず、じっと新高さんの舞台を見ていた。

「オーラスの前に昭和の詩がひとつ入るよ」と連絡がいったか否かは今もって判らないが、誰も聞いたことのない寺山さんの詩であると同様、自分にとっても客席に向かって語れなかった、ただ一つの詩でもある。

それにしても富山市内の道路は広かった。