伝説となった「力石徹告別式」以来、この方には大変お世話になった。





最後にお会いしたのが九條今日子さんの古希のお祝いの席上であった。好物のワインを片手に人なつっこいあの笑顔が忘れられない。寺山さんの3回忌公演だったと記憶しているが、ジァン・ジァンで「力石徹よ」を元世界チャンピオン、ファイテング原田氏をゲストに迎えて上演したことがあった。梶原一騎氏と共に観に来て、力石を悼んで大きな花輪を上げて頂いた。(一方の原作者、ちばてつや氏には気がつかなかった)
以来、梶原氏を偲ぶ会では毎回顔をあわせ、生まれて初めて銀座のクラブへも誘ってもらった。
「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた』なる著書を「昭和君にいつかは渡そうと思ってね」サイン入りで頂いた。今、再読している。
盛大な葬儀であった。6台あるお焼香の前に立つのに30分はかかったが、知っている方は、ちばてつや氏と高森敦子さん、少し遅れてきた高取英氏しかいなかった。高取氏は直ぐ京都へ戻らねばならないが、3人で飲みながら(実際には、ちば氏と俺だけ飲んで、敦子さんは飲まなかった)故人を偲んだ。こんなに大勢の参列者、あらためて内田氏の人脈の広さに驚かされた。3人で退席、バッタリ階段で九條さんと笹目に会った。ご両人はそのまま階段を下りて行ったが、俺はまた上り直し最後までしこたま飲んで帰った。あれで良かったのかな? 冷たい小雨煙る6月3日であった。

「内田さん、そのうち、また、あちらの方で力石徹の葬儀をしましょう」合掌