昭和精吾の●陸●海●空

もと天井桟敷俳優、昭和精吾のブログです。

カテゴリ: ◎精吾の部屋◎

あの伝説の漫画「あしたのジョ−」が映画化され封切り間近と知る。

ここに寺山さんが当時の1970年3月24日、講談社講堂で俺が弔辞を読んだで執り行われた力石徹の葬儀の構成表を生原稿から5枚アップする。

後、原作者、故梶原一騎氏から頂いた最後の賀状とともに寺山さんが力石に捧げた弔辞全文を掲載する予定である。
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昨晩、帰って懐かしい映像をニュースで見た。
あの当時は記憶確かならば万の聴衆が集まったような気がする。
38年ぶりに復活したコンサートは時折雨の中、1400人以上の中高年の観衆が集まり一緒に出演者等と口ずさんだりしたそうだ。

なぜか当時のチラシが手元にある。
フォーク世代の元気な中高年層に3カットだけ、覚えてた あの歌 あの顔(朝日新聞 8月2日朝刊)の方々に贈ろう。

中津川フォークジャンボリー 1/3 中津川フォークジャンボリー 2/3 中津川フォークジャンボリー 3/3
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今年、この九段の満開だった桜も散りはじめた8日、一人の名優が花びらに乗って天国へと舞い上がって逝った。
このように水面に花びらを無念そうに残しながら。



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記憶として天井桟敷に在団中は一度もカメラを持った寺山さんの姿を国内でも外国でも見たことがなかった。
だとすれば退団後か?

記事は朝日新聞2008年11月18日(火)朝刊、文化欄から撮ったものである。





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天井桟敷時代の稽古日誌も何冊か持っているが、これはジァン・ジァン専用であった。

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やがて、劇団が忙しさを増しジァン・ジァンとは疎遠になっていったが、劇場の主催だったか出版社の主催だったか忘れたが自作の詩を朗読する「現代詩人の集い」みたいなものが開催されたことがあった。
長田弘、関根弘、白石かずこ、諏訪優諸氏らではなかったかと思うが、これ可なりいい加減な記憶である。続きを読む

このジァン・ジァンのチラシは多分昭和45年(1970年)のものではなかったかと記憶している。

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1998年(平成10年)4月22日 水曜日、ジァン・ジァンの閉館を報じた朝日新聞、朝刊社会面である。

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2000年で幕を閉じた渋谷ジァン・ジァンの楽屋に入るスロープで撮った絵である。
撮影はさいたま市在住のカメラマン・水崎豊氏であった。



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瞬間的に「なに!石川良栄?しらなぇなぁ〜そんな名前は」。
先日、宅配BOXのSS12番に入れて置きましたというメッセージが郵便受けに入っていた。
カードを差し込んで取り出して見ると、少し重みのある長方形の包みが出てきた。
直感的にこれは酒だ!(当たってしまった)この年になってファンからでもあるまいし、エレベーターに乗ってあらためて名前を確かめてみた。「石川良栄」の下に小さく(ストロベリーソングオーケストラ ヨシエ)と書かれてあった。ヨシエなら知りつくすほど知っている(失礼、実はあんまし知らない)、大阪に住む娘である。東京にも良く言うことを聞いてくれる3人の子がいるが、この贈り物で、年代順に追ってきた寺山さんの生原稿は大きく右に急旋回して時代を飛び超える。


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